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【TYPE05】パンドラの娘




語り手:ノア(男)

主人公:ラティス(男)

囮の敵:ジュエル(女)

本当の敵:エメラルド(女)

ルシア(女)

クラレ(男)




昔々、神は、火の使用を覚えて驕り高ぶる人間に、罰を与えようと考えました。
神は、パンドラという女性を作り出し、彼女にあらゆる魅力と美徳と、金色の箱を与えました。
そして、「その箱は、決して開けてはならない」と忠告をした後、最後に好奇心を与えました。
好奇心にかられたパンドラは、我慢できずに、その箱を開けてしまいます。
すると、箱の中から、毛むくじゃらの黒い生き物が沢山出てきました。
この生き物は、病気、貧困、犯罪といった、人類を悩まし続けるあらゆる災厄だったのです。
パンドラは慌てて箱を閉めますが、たった一匹の生き物を残して、全て外に出てしまいました。
箱の中に残ったのは、「絶対予知」。
この災厄が外に出なかった為、人はこれからの人生で何が起こるか知ることはな
く、明日に希望を抱くことが出来たのです。


◆この物語は語り手ノアによって語られる。

◆「悪魔!お前は悪魔の子だ!!」
罵声と共に浴びせられる張り手を、少女は黙って受け止めていた。
時と共に激しくなるののしりと暴力に、少女は悲鳴も上げず、顔色も変えず、黙ってなすがままになっていた。
「この悪魔!!お前を殺してやる!!悪魔め!!」
遂に二本の手が喉を締め上げるが、それでも少女はもがこうとすらしない。
黙って見返す目は、まるで黒曜石のようだった。
その目に見つめられ、女は急に手を離すと、自分の顔を覆い、
「ああ・・・ご免なさい・・・。ご免なさい、ジュエル・・・。許して・・・」
すすり泣きながら、切れ切れに許しを請い始める。
ジュエルは、すすり泣く女の肩に手を置いて、
「泣かないで、お母様。お父様は、必ず帰ってきますわ」
突然、母親はジュエルを突き飛ばすと、
「ラティスが出て行ったのは、あんたのせいよ!!呪われろ、悪魔め!!」
ジュエルは、母親に足蹴にされながら、
「ご免なさい、ルシアお母様」と繰り返していた。


若い騎士のノアは、恒例の「巫女のお言葉」を、あくびをかみ殺しながら聞いていた。
金色の髪に緑色の目をした幼い巫女は、薄いベールで顔を覆い、細く高い声で言葉を紡いでいる。
内容は取るに足らないもの。曰く、「何日後に雨が降る」とか、「今年の作物の出来」だとかいうものだ。
ノアには、人々が何故、「巫女の予言」にこれほど熱狂するのか理解できなかった。
彼に言わせれば、巫女エメラルドは「稀代の詐欺師」であり、予言者でも何でもない。
今まで彼女の予言が当たっていたのは、ちょっとした知識と悪智恵があれば、誰でも言えるようなことばかりだ、と。

幼い少女のエメラルドは、三年ほど前にふらりと王宮に現れ、王の病気と、今年起こる干ばつについて予言した。
最初は相手にしなかった者達も、彼女の言葉通りに王が病に倒れ、日照りが続いた事に驚愕する。
更に、エメラルドは、周辺国の政治的紛争や暗殺などを予言。その全てが彼女の言葉通りになった。
このことにより、エメラルドは、王の特別の計らいで、「巫女」として王宮に住む事になった。
そして、エメラルドが気紛れに紡ぐ「予言」に、人々は一喜一憂することとなる。
ノアも、エメラルドの「予言」が一度も外れた事がないのは認めていたが、それだって「幸運が続いた」だけであり、いつか馬脚を現すと信じていた。

「だが、彼女の予言が当たるのは事実だろう?」
宮廷魔導師長クラレの指摘に、ノアは苛立たしげに首を振って、「誰でも出来ることだ」と言った。
ちょっとした知識と度胸があればいい、と言うノアに、今度はクラレが首を振って、
「その『ちょっとした知識』がどれだけのものか、お前さんには分かってないん
だよ。彼女の予言は多彩すぎる。あれほど広範囲で正確な知識を修めるのは、常
人には不可能さ。まして、年端もいかない少女が身につけるなど」
ノアは、エメラルドは魔術で若返ってるのかも知れない、本当はすごいババアな
のかも知れないぞ、と言うが、クラレは再び首を振って、「そんな術があるなら
、是非教えて頂きたいものだ」と言う。
宮廷魔導師長様にも出来ないのか?という、年下の友人のからかいの言葉にも、
クラレは顔色一つ変えず、
「それが出来たら、私は宮仕えなどしとらん」
エメラルドの目的が分からないと言うノア。「世界征服でも狙ってるのかも知れ
ないぞ」と言うノアに、クラレは、「その前に寿命が尽きるだろうさ」と言う。
「お前さんの言う、『若返りの術』でも使わん限りはな」

◆ルシアの虐待は、通いの掃除婦であるマーシュ夫人に発見され、通報された。
すぐに保護が必要だと判断した当局は、ジュエルを孤児院に預け入れる。
ルシアには地区の相談員がつき、何故このような状況に陥ったのかを聞き出した

ルシアの夫は、「騎士になる」為に長く家を空けていたが、これをルシアは、「
ジュエルが悪魔の子だから」夫は出て行ったと思いこんでいた。「あの子がいな
ければ、夫は帰ってくるに違いない」と言うルシア。ジュエルは、「呪いを掛け
て人を殺している悪魔」で、夫は「悪魔を退治する方法を探しに行った」のだと

相談員のクラレは、「旦那さんは、あなたのことも子どものことも愛している」
と言い、王都にいるはずのラティスと連絡を取ろうとしたが、彼からは梨のつぶ
てであった。


騎士団長であるラティスは、殊の外エメラルドを大切にしていた。
エメラルドの我が儘や気紛れに全て応え、一日中彼女の側を離れない始末だった

エメラルドもまた、何かあればラティスを呼び、ついには、「夕食に何を食べる
か」相談したり、「明日着るドレス」の試着につきあわせたりするのであった。
それもまた、ノアには苛立ちの種だった。
誇り高き騎士団が、何故あんな小娘にかしづかなければならないのかと、再三文
句を言っていた。
ラティスは、ただ首を振って、「王の意向だ」としか答えない。
ノアは、「王だって、彼女に騎士団の全てを与えるつもりはないでしょう」と言
うが、ラティスは黙って首を振るだけだった。
陰では、ラティスはエメラルドに邪な気持ちを抱いているのではないかと噂され
た。
「親子ほども差のある少女に夢中になるとは、騎士の面汚しだ」
ノアは、そんな陰口を耳にする度に、エメラルドと、騎士の品格を落としている
ラティスに苛立ちを覚えるのだった。

クラレのところで、新しい弟子を紹介されるノア。
ジュエルという名の幼い少女を見て、エメラルドを連想するノア。
目の前のジュエルは、黒い髪に黒い目をして、全くの無表情だった。
クラレは、ジュエルには「危険察知」の能力があると言う。
また予言者かとうんざりするノアに、ジュエルは、自分は予言者ではないと否定
する。
「未来は変えられるもの」と言うジュエル。胡散臭げな顔をするノアに、クラレ
は「予知ではなく察知だと言ってるだろう」と言う。
ジュエルには、これから起こる危険を感じて、それを回避することが出来ると説
明するクラレ。
「「気配を感じた」とか「虫の知らせ」とか、何でもいいがね。この子は「勘が
鋭い」ってところだな」
王に謁見させればいいだろう、きっと重用されると、投げやりに言うノアに、ク
ラレは首を振って、
「分からん男だな。予知ではないのだ。危険がない時は、何も感じやせん。「見
せてみろ」と言われて、出来るものではないのだ」
エメラルドの予言は、回避できない「絶対予知」だが、ジュエルが察知したこと
は、事前に対策を取れば避けられると説明する。
「例えばな、巫女が「明日あなたは死にます」と言えば、どうあがいても、そ奴
は死ぬ。だが、ジュエルは、「その場所に行くと死ぬ」と言うのだ。この場合、
そこに行かなければ、死なずにすむのさ。言うなれば、「予言の自己破壊」だな
。教えた事によって、予言が成就しなくなる」
「そりゃあ、便利だな」
半信半疑に言うノアに、クラレはじっと目を据えて、「そうだな。彼女の言葉を
信じればな」と言った。
クラレの様子に、どういう意味だ?と問いかけるノア。
クラレは、ジュエルに袖をまくるように言う。
袖の下から現れた腕には、いくつもの痣や火傷、切り傷の跡があった。
驚くノアに、クラレは「母親からの暴力だ」と言った。
「分かるか?異能者は、何時の世も差別と偏見に晒される。巫女のように「良い
事」を予言すれば「救世主」で、ジュエルのように「悪い事」を警告すれば「悪
魔」と呼ばれる。ジュエルが「危険」を警告すればするほど、周囲は奇異の目で
この子を見るものだ。そんな周囲の偏見に耐えかねて、父親は家族を捨てて失踪
し、母親は我が子を虐待する。そんなもんだ。巫女は、たまたま運が良かったの
さ」
エメラルドも、同じような目にあったのだろうかと言うノアに、クラレは「あっ
ても不思議ではないな」と言う。
「回避できない「絶対予知」は、或る意味では災厄なのさ。おとぎ話に出てくる
ように、な」


◆周囲の支えや、相談員との関わりの中で、ルシアは、過去に母親から無視され
ていたことを告白し、ジュエルを「どう愛したらいいのか分からない」と言う。
辛抱強くルシアを励まし、支え、過去と対峙し、乗り越える手助けをしたのは、
マーシュ夫人と老牧師フェザーであった。
ついには、ルシアは涙を流しながら、後悔の気持ちを口にする。そして、ジュエ
ルを手元に引き取ることを熱望した。
その願いが叶ったのは、ジュエルが孤児院に引き取られてから5年後、12歳の
誕生日を迎える直前であった。


エメラルドに呼ばれ、ノアは彼女の部屋へ行く。
部屋にはラティスもおり、青白い顔をした巫女をソファーに座らせ、背中にクッ
ションをあてがっているところだった。
かいがいしく動くラティスを、嫌悪の目で見るノア。
何かご用でしょうか?と、言葉だけは丁寧に問いかけるノアに、エメラルドは視
線を向けて、
「私は・・・私は、死にます。今日限りで・・・」
その言葉に、ノアはぎょっとして、それは確かですかと聞いた。
エメラルドは頷き、ラティスの方へと顔を向けて、
「確かです。私は死にます。その時、ラティス様も巻き添えになって・・・」
エメラルドは、苦しげに息を吐くと、「私の運命に、巻き込まれてしまうのです
」と言った。
ラティスは、黙ってエメラルドの手を握る。
ノアはショックを受け、「隊長も死ぬって言うんですか!」と叫ぶ。
「何故!?一体誰に殺されるって言うんです!?」
その問いかけに、エメラルドはじっと考え込んで、「それは・・・言えません」
と言った。
何故と問うノアに、エメラルドは首を振るだけで答えようとしない。
ノアは苛立ち、「隊長は知っているのでしょう?」と聞く。
「一体、誰が?何故?答えて下さい、隊長。でなければ、手の打ちようがない」
ノアの言葉に、ラティスは静かに顔を上げて、
「巫女の予言は絶対だ。回避する事は出来ない。だが・・・私には、エメラルド
様を守る義務がある」
ノアは苛々と、「だから、誰が犯人だが教えて下さい」と言う。
エメラルドは、すがるようにラティスを見る。ラティスは、安心させるようにエ
メラルドの肩に手を置いて、
「宮廷魔導師長クラレの弟子、ジュエル。彼女が犯人だ。ジュエルは、私と巫女
を殺しに来たんだ・・・」


◆椅子にきちんと腰を掛けるジュエルは、全くの無表情であった。
孤児院に引き取られて以来、一度も表情を崩さないという。ルシアは、窓越しに
その様子を眺め、ショックのあまり倒れそうになる。
自分に母親の資格はないと、涙を流すルシア。「ジュエルはあなたを待っていま
すよ」と、孤児院の院長に励まされ、ルシアはおずおずと部屋の中に入り、「ジ
ュエル・・・」と声を掛けた。
振り向いたジュエルは、「お母様」と言うと、駆け寄ってルシアに抱きついた。
「ジュエル・・・ご免なさい、ジュエル・・・」
泣きながら、ルシアはジュエルを抱きしめた。


「どういう・・・ことですか?ジュエルが?あんな子どもが、何故?」
ノアの問いかけに、ラティスは「場所を変えよう」と言い、エメラルドの部屋を
出る。
ラティスの部屋に行くと、ノアは同じ質問を繰り返した。
ラティスは、深い溜息をついて、「時間がないんだ」と言った。
巫女の予言では、エメラルドとラティスが死ぬのは、今夜未明。死体が発見され
るのは三日後だと言う。
「どうするのか」と言うノアに、ラティスは、「ジュエルを連れてきて欲しい」
と頼む。
ノアはショックを受けたように、「連れてきてどうするんです?殺すんですか?
あんな子どもを?」と聞いた。
ラティスは、じっとノアを見つめ、「殺しはしない」と言う。
「子どもを手に掛ける訳にはいかん・・・。説得するんだ、出来れば、思い留ま
るように」
私の命と引き替えにしてもいい、と言うラティスに、ノアは腹を立て、「冗談じ
ゃない!」と言う。
「隊長はご自分の立場を分かっておられるんですか!?あなたがいなくなったら
、騎士団はどうなるんです?この国は?あんなペテン師のガキの為に、命を捨て
るだなんて!!」
ノアは挑むようにラティスを睨みつけるが、ラティスは悲しげにノアを見つめ、
「ペテン師でも構わない・・・私には、彼女が必要なんだ・・・」


◆買い物袋を抱えたルシアは、教会に立ち寄る。
老牧師と、牧師を訪ねてきていた相談員に挨拶するルシア。
ルシアは、二人に、今日はジュエルの誕生日だと言う。フェザーは目を細め、そ
れはおめでとう、と言う。
早く帰ってあげなくていいのか、と問う牧師に、ルシアは笑って、「ジュエルに
、丘の鐘が5つなるまでは、帰ってきては駄目と言われているんです」と言う。
相談員は笑って、「ジュエルにも、何か考えがあるようですね」と言った。きっ
と、あなたを喜ばせたいのでしょう、と。
ルシアも笑って、ジュエルの為にケーキとドレスを買ってきたと言う。「絶対に
似合う、可愛らしいドレスを見つけたんです」と、顔をほころばせるルシア。
その時、鐘の音が5つ響き渡る。それを合図にルシアは立ち上がり、「ジュエル
がお腹をすかせて待ってますわ」と言って、駆け足で家に戻っていった。


憤懣やるかたない様子のノアは、荒々しくクラレの自宅を尋ねる。
「随分ご立腹のようだな。血圧が上がるぞ」
クラレの言葉を無視して、ノアは、ジュエルを差し出すように言う。
「巫女の命令だとさ!騎士団は、あんな小娘の言う事を聞いて、子ども一人に右
往左往している!!」
腹立たしげに言い捨てるノアに、クラレは、「まあ、落ち着け」と言った。
「ジュエルならおらんよ。ラティスの所に行ったから」
クラレの言葉に、ノアはきょとんとして、「隊長の所に?何でまた?」と聞く。
クラレは、じっとノアを見て、
「何で?何でと聞くかね?隊長直々に呼び出したからさ。ジュエルがそう言って
いた。「ラティス隊長に呼ばれた」と」
その言葉に驚くノア。自分は、先ほどまで隊長と一緒にいたが、そんなことは一
言も聞いていないと言う。
「そうかよ。まあ、行き違いってのは、よくあることだ。ジュエルが自分から出
向いたんだから、お前さんもお役御免だろう?」
付き合えよと言って、クラレはチェスの盤を取り出すが、ノアは手を振って断り

「何で、隊長は何も言わなかったんだ?わざわざ俺に言ったんだぞ?「ジュエル
を連れてこい」と」
クラレは、つまらなそうにチェスの駒をいじりながら、「そりゃあ、お前さんに
いて欲しくなかったんだろうさ」と言う。
どういうことだ?と聞くノアに、クラレは、「あの子には、「危険察知」の能力
がある」と言った。
「最初に聞いたよ」と言うノアに、クラレは首を振って、
「普段なら、あの子も自分の身を危険にさらすような真似はしない。だが、ラテ
ィスから呼び出されたら、別だ。どんな危険があろうと、あの子は喜んで出向く
だろうさ」
ノアは徐々に不安げな顔になり、「どうしてだ?」と聞く。
クラレは、じっとノアに目を据え、
「そりゃあ、ラティスがジュエルの父親だからだ」

慌てて王宮に戻ったノアは、宮廷内が蜂の巣をつついたような騒ぎになっている
のを見た。
騎士団の一人が、戻ったノアの姿を見て、「エメラルド様が姿を消した」と教え
る。
「宮廷内の何処にもいないんだ。隊長は半狂乱になってるぜ」
ノアは、クラレの弟子のジュエルを見かけなかったかと聞くが、騎士は「見てい
ない」と言う。
ノアは走り出し、ラティスの元へ行く。
兵士達に指示を出していたラティスは、ノアに気付き、声を掛けようとした。
だが、ノアは、いきなりラティスの顔面を殴りつける。
不意を突かれて、ラティスは膝を突いた。驚く周囲に構わず、ノアは、「規律違
反は承知の上です」と言う。
「俺は・・・俺が騎士になったのは、あんたのこんな姿を見る為じゃない!!目
を覚まして下さい、隊長!!」
ラティスは、動揺する周囲を手を振って鎮めると、ノアに、「場所を変えよう」
と言った。
エメラルドの部屋で、向かい合う二人。
ノアは、「ジュエルを何処にやったのです?」と聞く。
ラティスは首を振って、「ジュエルには会っていない」と言った。
ノアは腹を立て、隊長が自分で呼び出したのでしょう、と迫る。だが、ラティス
は再度首を振って、自分は呼び出していない、と言う。
「私は、君にジュエルを呼んでくるよう言った。何故、自分で呼び出す必要があ
る?」
ノアは、「あなたが、ジュエルの父親だからです」と言った。
ラティスは驚き、「誰に聞いた?」と聞く。
ノアは、その問いには答えず、「何故、家族を捨てたのですか?ジュエルが異能
者だからですか?」と聞いた。
ラティスは目を伏せ、「耐えられなかったんだ」と言う。
「二十年も前の事だ・・・。私は若く・・・愚かだった。自分の夢を捨てきれず
にいた。子どもが生まれても、諦めきれなかったんだ。・・・あの子が喋れるよ
うになったら、なおさら。私は、逃げたんだ。周囲の白い目、うわさ話、何時も
こちらを窺うように見て、小声で囁き交わす様子・・・」
ラティスは、手で顔を覆い、
「何通も手紙が来た。その度に、中も見ずに破り捨てていた。後ろめたさから・
・・逃げて・・・。知らなかったんだ・・・ルシアの事も・・・ジュエルの事も
・・・。知ったときには・・・手遅れだった・・・」
ノアは、黙ってラティスを見つめていた。目の前にいる騎士団長は、急に何歳も
老けて見えた。
「エメラルド様を見た時、私はジュエルが現れたように思った。まるで奇跡のよ
うに思えたんだ。神が、私に贖罪の機会を与えてくれたのだと・・・。だから、
私はエメラルド様を大切にした・・・。あの子に・・・ジュエルに、してやれな
かった事、してやりたかった事を全て・・・」
ノアは、「本物のジュエルが来たのだから、もう巫女にこだわる必要はないでし
ょう?」と言う。これからは、ジュエルの事を大切にしてやればいい、と。
ラティスは、両手をだらんと下げると、「もう手遅れなんだ」と言った。
「何故ですか?ジュエルは、あなたに会いに来たんだ」と言うノアに、ラティス
は、視線を逸らして、
「そうだ。あの子は私に会いに来た。私を憎んで・・・恨んで・・・殺す為に」
ノアは苛立って、そんなことはない、と言う。ラティスは、「巫女がそう予言し
た」と指摘するが、ノアは、そんなのは嘘っぱちだ、と言い捨てた。
「何時まで、巫女の預言にしがみついてるつもりです?ペテン師より、自分の娘
の方が大切ではないんですか?」
ノアの言葉に、ラティスは、ノアの顔をじっと見つめて、
「ジュエルは私を憎んでいる・・・恨んでいるはずなんだ。あの子は・・・死ん
だ。殺されたんだ。12歳の誕生日に」
側にいれば、守れたかも知れないのに、と呟くラティス。あの子は、私を殺しに
来たんだ、と。
ショックを受けるノアは、ラティスがふらふらと部屋から出て行くのを、黙って
見送った。

◆家に戻ったルシアは、ジュエルを驚かせようと、忍び足で食堂に向かう。扉の
前でバースデーケーキを箱から出すと、満面の笑みを浮かべながら、ぱっと扉を
開けた。
「ハッピーバースデージュエル!!見て!!お母さんケーキを・・・」
ルシアは、目の前の光景に凍り付いた。
床の上に、ジュエルが仰向けに倒れている。余所行きの青いドレスを着たジュエ
ルは、まるで眠っているかのように見えた。
体中を染め上げる深紅の染みがなければ、ルシアはジュエルがふざけているのだ
と思っただろう。
ジュエルの体のすぐ近くに放り出されたナイフが、ぬめぬめとした嫌な光を放っ
ている。
ルシアの手からケーキが滑り落ち、足下で無惨に崩れた。ルシアは、膝の力が抜
けたように、その場にへたり込む。
「ジュエル・・・?」
その時、背後からマーシュ夫人の声が聞こえてきた。
「今日はジュエルちゃんの誕生日でしょう?こんなもので悪いんだけど・・・」
ご自慢の「薫製ニシンのパイ」を持ってきたマーシュ夫人は、そこで言葉をとぎ
らせた。
「ルシアさん?」
ルシアの肩越しに、部屋の惨状を見て取ったマーシュ夫人は、鋭い悲鳴を上げ、
「なんて事・・・そんな・・・あんまりです、神様・・・」
そう言って、表に走り出していった。
ルシアは呆然と床に座り込みながら、マーシュ夫人の言葉を頭の中で反芻してい
た。

あんまりです、神様ーー


ラティスが出て行った後、部屋にエメラルドが入ってくる。
ノアはまだショックが抜けきれず、ぼんやりとその顔を眺め、「ジュエル?」と
声を掛けた。
エメラルドはノアを見つめ、「ジュエルは何処?」と言った。
我に返ったノアは、一体何処に行っていたのかと、エメラルドをなじる。
「あなたのせいで、城中大騒ぎですよ」
だが、エメラルドは気にする様子もなく、ただ、「ジュエルは何処にいるのかし
ら・・・」と呟いた。
ノアは、エメラルドの態度に怒りが込み上げ、「あんたはペテン師だ!」と叫ぶ

この国はあんたのせいで滅茶苦茶だ、一体何が目的なんだとなじるノア。
エメラルドは、きょとんとした顔でノアを見つめ、「ジュエルに会いたいの」と
言った。
苛立つノアは、「何故ジュエルにこだわるんだ」と言う。あの子をインチキな予
言の犠牲にさせる気か、と。
「犠牲・・・?」
ノアの言葉に首をかしげた後、唐突に、エメラルドは笑い出した。頭をそらし、
甲高い笑い声を上げる巫女に、ノアは一瞬たじろぐ。
「犠牲?犠牲ですって?あの子を犠牲にしたのは、あんた達よ!私からあの人を
取り上げて、ジュエルを隠して!あんた達の魂胆はお見通しよ!!」
ノアは、エメラルドの気が触れたのかと思った。
扉が静かに開き、ラティスが顔を覗かせるが、エメラルドは気付いた様子もなく
、ヒステリックな笑い声を上げ、
「あの子は返して貰うわ!!あの子は私の子よ!!ジュエルは私の子なのよ!!

その時、はっと息を呑む音がして、エメラルドは振り返る。ラティスが、真っ青
な顔でエメラルドを見つめていた。
「まさか・・・?」
呆然と呟くラティスに、エメラルドは両手を伸ばして、
「ああ・・・ラティス・・・この人に、ジュエルを返してくれるよう言って。私
からジュエルを取り上げないように言って」
ふわふわとおぼつかない足取りで、ラティスに歩み寄るエメラルド。
「ねえ、私、上手に出来たでしょう?約束したでしょう?私が上手に出来たら、
ジュエルを返してくれるって。あなたがそう約束してくれたって、言ってたわ・
・・」
ノアは、立ちつくすラティスを見つめていた。ラティスは、エメラルドの顔を凝
視している。
「ラティス、私、ちゃんと出来たわよね?あなたは、いつも私のそばにいて、い
つも私を見張っていたんだもの・・・」
巫女の細い指が、ラティスの手首をつかむ。
「私、ジュエルにケーキを買ってきたの。それに、ドレスも。ねえ、あの子が着
たら、絶対に似合うのよ・・・とても可愛らしい・・・」
ラティスは顔をゆがめ、苦しげに呟いた。
「君だったのか・・・ルシア」
その時、再び扉が開いて、今度はジュエルが顔を覗かせた。
ノアは、思わず「ジュエル!」と叫ぶ。
ジュエルはノアを見て、エメラルドに視線を移す。エメラルドはジュエルの方に
顔を向け、
「ジュエル・・・ジュエル!ご免なさい、ジュエル・・・許して・・・」
「お母様」
そう言って、ジュエルはエメラルドに抱きついた。
ノアは、ジュエルとエメラルドがそっくりなことに、髪と目の色をのぞけば、う
り二つと言って良いくらい似ている事に気が付いた。
配色は父親譲りなのかと、場違いな事を考えるノア。
ラティスは、呆然と二人を眺め、
「そうか・・・ジュエルは、君によく似ていた・・・君の幼い頃に・・・」
ノアは訳が分からず、ラティスを見る。ラティスは、エメラルドの肩に手を置い
て、「では、ジュエルが私達を殺すという予言は、嘘だったんだね?」と、穏や
かに聞いた。
エメラルドは、ジュエルを抱きしめたまま、ラティスの顔を見上げ、「当然でし
ょう?」と言った。
「ジュエルは私達の子よ。どうして、この子が私達を殺すの?」
エメラルドは、ジュエルの髪を撫でながら、
「約束だもの。上手く出来たら、この子を返してくれるって。これが最後、最後
まで出来たら、この子は帰ってくる・・・」
愛しげにジュエルの髪を撫でるエメラルドを、ラティスはじっと見つめ、「そう
だったのか」と頷いた。


◆混乱して立ちつくすノアに、ラティスは近づいて、「迷惑を掛けたな」と詫び
た。
ぼんやりと見つめ返すノア。「どういうことです?」と聞く。
ラティスは頷いて、「結局、私が招いた罪だ」と言った。
エメラルドは、自分の妻のルシアであり、ジュエルは私の子だと言うラティス。
「よく分かりません」と言うノアに、ラティスは微笑んで、「そうだな」と言っ
た。
「でも、もういいんだ」と言うと、ラティスは騎士団長の勲章を外すと、ノアの
手に握らせる。
「私は、騎士失格だ。団長を、いや、騎士を名乗る資格はない」
これは君に託そう、と言うラティス。どうとでも、いいようにしてくれ、と。
「どういう事ですか?」と尋ねるノアに、ラティスは振り返って、エメラルドと
ジュエルを見つめ、
「私には、国王よりも、巫女よりも、大切な者がいるんだ」
再びノアに微笑みかけると、ラティスはエメラルドとジュエルに近づいて、「行
こうか」と促した。
ノアは、その後ろ姿を見つめながら、「・・・自分の命よりも、ですか?」と聞
いた。
ラティスは振り返らずに、「ああ」と答える。
ノアは、黙って最敬礼をする。そのまま、部屋を出て行く三人を見つめながら、
自分でも理由の分からない涙を流していた。


クラレの自宅を尋ねたノアは、じっとクラレを見つめ、
「・・・知ってたんだな」
ノアの言葉に、クラレは視線を逸らしたまま、「ああ」と答えた。
「いつから?」
その問いかけに、クラレは肩をすくめて、
「最初から。もっと正確に言えば、20年前から、だな」
クラレは、自分はラティスと同郷であり、その頃、魔道の勉強をしながら、ボラ
ンティアで地区の相談員をしていたと話す。
「ラティスのことは、噂話程度に聞いていた。若い者が、騎士を目指して王都に
行くなど、良くある事だったからな」
更に、ルシアがジュエルを虐待し始めた事、その虐待が掃除婦によって通報され
た事、自分がルシアの担当になった事を話す。
「年も近いしな。話しやすいだろうと言う、単純な理由からだがな」
「それで?」
「それで・・・?そうだな、母親は改心し、娘を引き取った。二人は仲良く夫の
帰りを待つ事にした。実際、ルシアは見違えるほど良い母親になったよ。元々、
母性的な女性だったかなら」
そして、ジュエルの誕生日に起きた悲劇と、直後に、ルシアがジュエルの遺体と
共に失踪したことを語った。
「ジュエルが、とっくに死んでいたことも知っていたのか」
ノアの言葉に、クラレは再び肩をすくめて、
「知ってたよ。私が殺したんだから」
ノアは、二・三度瞬きしてから、じっとクラレを見つめ、
「殺した?・・・お前が、ジュエルを、殺した?」
クラレは溜息をついて、「実際には、ジュエルの自殺を手伝ったんだがな」と言
った。
「だが、致命傷を与えたのは私だから、私が殺した事になるんだろう」
どういうことだ?と問うノアに、クラレは、「ジュエルは、自分が「悪魔の子」
だと信じていた」と言う。
「自分が生きている間は、ラティスが帰ってこないと思いこんでいたんだ。だか
ら、母親が自分の誕生日を祝おうとしている事を知って、彼女にプレゼントをし
たくなったんだ。ジュエルが出来る、最高のプレゼントを」
ジュエルはルシアを愛していたんだ、と言うクラレ。
ノアは、自分の手で顔を覆って、
「・・・頭が混乱してきた。どうして、自分が死ぬ事がプレゼントなんだ?それ
が愛なのか?」
「それも愛なのさ。あの子なりの愛し方だ。母親が一番求めていることは、父親
が帰ってくる事だと信じていた。自分がどれだけ愛されているかなんて、これっ
ぽっちも分かってなかった」
ジュエルは、愛するだけで、愛される事を知らなかったと言うクラレ。
ノアは、「そこに、どうしてお前が関わってくるんだ?」と聞く。
クラレは目を伏せ、「ジュエルが自殺することを知ってたんだ」と言う。
「だから、せめて苦痛を長引かせないように、とどめを刺しに行った。どのみち
、あの子が助からない事を知っていたから」
その言葉に、突然ノアは、「何故だ!!」と叫んだ。
「何を知っていたと言うんだ!!何故あの子の自殺を止めなかった!!」
止めていれば、こんなことにはならなかった、と言うノアに、クラレは首を振っ
て、
「仕方ないだろう・・・私はジュエルとは違う。私には、未来を変える力がない

どういうことだと迫るノアに、クラレは溜息をついて、
「私が予言者だからだ。「絶対予知」の能力を持っているのは、エメラルドでは
なく私だよ」
エメラルドの予言は、全てクラレが教えたものだと言う。
ルシアを魔術で「若返らせ」、予言者に仕立てて王宮に送り込んだのだ、と。
その言葉にショックを受けるノア。「何故だ?」と問う。
クラレは、悲しげにノアを見つめ、「ジュエルの願いを叶えたかったんだ」と言
った。
「こうなることは分かっていた。それでも、私にはどうすることも出来なかった
。私が傍観していても、ルシアは王都に来たし、ジュエルは両親に会いに来ただ
ろう。結果が変わらないのなら、自分で背負おうと思ったんだ。私が一人で背負
おうと」
再び「何故だ?」と問うノア。「何故相談してくれなかった?」と言われ、クラ
レは視線を逸らして、
「分かち合えないからだ。「回避できない予言」は、災厄なのさ。箱の底に残っ
たはずの・・・」
ノアは呆然として、クラレの顔を見つめていた。

◆エメラルドの部屋を出た後、ラティス達は行方不明になった。
それこそ上を下への大騒ぎとなり、大がかりな捜索隊が編成される。
ノアは、気のない様子で捜索隊に加わりながら、ラティス達が見つかるとしたら
、三日後だなと考えていた。
三日後、森の奥深くで、ラティスと中年を過ぎた婦人が心中しているのが見つか
る。
固く握りあった二人の手は、外すのに大層苦労したらしいと言う噂を、ノアは聞
いた。
更に、相手の女性は、行方不明になっていたラティスの妻のルシアらしいと言う

ルシアは、一人娘が亡くなった時、娘の遺骸と共に失踪し、そのまま行方知れず
になっていたらしい。
ルシアの胸には、袋に入った少女の遺骨と、ぼろぼろになったドレスの残骸が抱
かれていた。

結局、エメラルドは見つからなかった。
ラティスが、エメラルドを誘拐したのではないかという説も流れたが、真相は闇
の中だった。


宮廷内のクラレの部屋で、ノアは机に向かって書き物をしているクラレを眺めて
いた。
「大騒ぎだな」と言うノアに、クラレは「ああ」と答える。
これから、この国はどうなるのかと聞くノアに、クラレは「知りたいのか?」と
聞き返した。
ノアはじっと考えてから、「いや」と答えた。
「いや、知りたくない。知っても、何も出来ないのなら」
それがいい、と言うクラレ。未来を知らないからこそ、希望が持てる、と言う。
ノアは視線を逸らし、「俺が、これからどうするのか、教えてやろうか?」と言
った。
クラレは、「是非お願いしたいね」と答える。
「俺は騎士を辞めて、故郷に戻るつもりだ。親父の店を手伝って、それから」
「それから、結婚する。そう遠くない未来に」と、ノアの言葉を引き取るクラレ

「するのか」と言うノアに、「ああ」と答えるクラレ。
なら、親父もお袋も安心だな、と呟くノア。クラレは、「ご両親には、「ちゃん
と考えてる」と答えておけ」と言った。
しばし言葉が途切れる。ノアは躊躇ったあげく、「お前は・・・知ってるのか?
」と聞いた。
クラレは視線を逸らしたまま、「知ってるよ」と答えた。
ノアは構わず、「お前は、自分に何が起こって、どういう人生を送って、どんな
人間になって・・・どうやって死ぬのか、知ってるのか?」と続けた。
クラレは、ゆっくりとノアのほうを向いて、「知ってるよ」と言った。
「何時、何処で、どうやって死ぬのか、何故死ぬのか、知ってるよ」
ノアは、苦しげな表情でクラレを見つめ、「変えられないのか?」と言った。
「どうしても変えられないのか?未来は変化しないのか?」
クラレはじっと考え、
「変えられんね。ジュエルならあるいは・・・と思ったのだがね。あの子は、両
親のことしか考えていなかった」
それも仕方のないことだが、と続けた。
ノアは、一旦口を開き掛けたが、思い直して、ペーパーナイフをいじっているク
ラレに背を向けると、
「最後に、一つだけいいか?」
「どうぞ」
「未来が変えられないのなら・・・予定調和の中でしかないのなら・・・」
ノアは、ゆっくりと扉に向かいながら、背後のクラレに話しかける。
「何故、神は・・・人を作り出したんだ?」
「さあな」
クラレの声は、何時もと全く変わりがなかった。
「それは、神に直接会って聞いてみよう」
宜しく言ってくれ、と呟いて、ノアは部屋を出た。
後ろ手に扉を閉めたとき、ノアの目から涙が溢れだした。


巫女の失踪、騎士団長の心中事件に続き、宮廷魔導師長の自殺は、人々に大きな
衝撃を与えた。
「災いの起こる前触れ」との噂が流れ、王都に不穏な空気が流れ始める。
そんな中、ノアは騎士団を辞して、故郷の村へと帰っていった。
両親の歓迎を受け、小さな食料品店を引き継いだノア。
次の関心事は、息子の嫁探しとなった両親に、曖昧に笑って、「ちゃんと考えて
るよ」と答えるノア。
母親は、息子が時折手を止めて、遠くを眺める様子を心配していた。
また夢を追って、家を出て行くのではないかと気を揉む母親に、ノアは笑って首
を振り、
「大丈夫・・・俺は、ここで結婚するんだってさ。知り合いが言ってた」
半信半疑の母親に、ノアは微笑んで、
「心配いらないよ。あいつは間違わない・・・間違えられないんだ、何時だって

そう言って、手を止めて、遠く王都の方角を眺めるのだった。


神は、残酷さの総仕上げとして、人にまやかしの「希望」を与えました。
彼らが絶望のあまり、自分たちに課せられた苦難から逃れようと、自殺をはかる
のを阻止するために。

そして、人は今日も、明日への希望を抱いて、苦難の道を歩むのです。

昔々の物語ーー