2005上半期あらすじAWARD
本文へジャンプ 2005.6 

 

●作者: mitu01


タイトル : 『理由』



 海辺には昭和二十年の風が吹いていた。
 水嶋慎一は遠い目をし、真っ青な海を見つめていた。
「父さんはあの海で――」
 将校だった父親が部下とともに敵艦に突っ込んだのはつい先日の事だった。
 悲しい事だが、しかしそれを口に出す事も涙することもできない。
 口に出せば捕まってしまう。非国民だと罵られ、物資も打ち切られるのに違いなかった。
 そこに、
「慎一、助けてくれ。妹が」
 幼馴染みの宏が慎一の傍に駆け寄ってきた。宏はそこで土下座した。
「どうしたんだ」
 宏は息をきらせながら言った。
「妹が駄目になりそうだ。栄養失調で腹に水がたまってる。頼む、米があったら分けて欲しい」
「悪いな。うちにもないんだ」
「嘘つくな!」宏は立ち上がり、慎一の襟元をものすごい力で掴んだ。
「本当だ」
 分けてやるわけにはいかなかった。慎一たちだって食べなければ生きていけないのだ。
「くそう」
 宏は手を離し、汗をぬぐいながら、またどこかへ駆けていった。

 家に戻ると、妹の華子が芋を食べていた。
「母さん。俺にも芋を」
 しかし母は、
「夕食まで待ちなさい」ぴしりと言った。
 やはりな、と慎一は思った。
 華子は連れ子だ。本当の子どもは可愛いが、俺には冷たいわけだ。
 しかし、それでもいい。どうせ明日には。
 慎一は県立工業学校への入学が決まっている。今度の寮生活でこの家ともお別れだ。
「さっき、宏さんがきた」旨そうに芋を食いながら、綺麗におかっぱを揃えた華子が言った。
「宏が」
「うん。さっきお母さんがお米を分けてあげた」
 慎一は立ちあがった。「なるほど、他人には甘くても、俺のことはそんなに嫌いなわけだ」
「何言ってる」
「くそう」
 自分でも歪んだ笑みになったのが分かった。慎一は茶箪笥を開けた。
 そこに入学許可証が入っている。学費は生前、父親が払い込み済みだ。
 しかし、
「ない」
 慎一は箪笥の中を覗き見た。しかしどこにもなかった。
 慌てて、狭い家中を探し始めた。
 二時間後、家の中の全てのものが畳みの上に並べられた。しかしどこにもなかった。
「そうか。宏だ」
 今なら、あれは金に替えられる。食べ物を手に入れようと宏がやったんだ。
 家を飛び出し、宏の家に行った。
「貴様」
 有無を言わせず殴りつけた。
 勝手に上がりこみ、家中のものを引っ張りだし、探し始めた。
 しかしどこにもなかった。
 期限は明日までだ。明日までに見つからなければ辞退だとみなされる。
 しかも金は戻ってこない。
 慎一は方々を探し回った。しかし、なかった。
 家に戻り、布団に仰向けになった慎一は額の中の父親の写真が少しずれている事に気がついた。
 入学許可証はそこから見つかった。母親だ。
「雌豚! 貴様は売女だ。金品が目当てで父に近づいたんだ。貴様、俺のことがそんなに嫌いなのか」
「違うわ」。
「何が違うんだ! だいたい華子ばかりかわいがって」
「華子は病気なのよ。本当はお金があればお医者さんに診てもらいたいくらいなの」
「嘘つくな! こっちだってお前なんか嫌いだ」
 母が泣き出したのを見て、慎一はうろたえた。毅然とした態度しか見たことがなかったからだ。
「おにいちゃん」
 華子が言った。
 妹とは仲がよかったので少し胸が痛かったが、慎一は入学許可証を胸に家を飛び出した。
 
 寮生活は快適だった。
 そこでは腹いっぱい食わせてくれた。寮に入った他の連中も予想外の事に大喜びだった。
 戦時中にあってこれだけの米、いったいどこから出てくるのが不思議だった。
――しかし、あの女。
 慎一は父親の後妻の顔を思い出した。
 実母に面影のある心優しい母だと思っていたが、雌豚め。
 慎一は飯をがつがつ食った。
 こうして一週間が過ぎたときだった。
「喜べ、貴様らは動員学徒だ」
 鞭を持った教官はいい、その足で海軍基地に連れて行かれた。
 岸にはベニヤ板でできた日の丸をつけたボートが五十隻以上も並んでいた。
「あれに爆薬が詰めてある。喜べ、貴様らはお国のためになれるのだ。
 この海域は我が軍の要だ。三日毎に敵の艦がやってくる。
 乗り込む人員は俺が選出する。選ばれたら誇りに思え」
 雰囲気は一転した。
 そして三日毎に一人、また一人と名が呼ばれ、寮友はいなくなっていった。
 慎一は飯をかきこんだ。
 父は戦死し、義母とは決裂、こんな時代に生き残っても未練はない。
 名前が呼ばれてもいいとさえ思っていた。
 くそう。あの女め。
 しかし、慎一の名は、なかなか呼ばれなかった。
 むしろ、死にたくないと言っている奴が先に名前を呼ばれた。
 慎一は教官の部屋に入った。
「水嶋です」
「入れ」
 慎一は疑問を口にした。何故、自分が呼ばれないのかを。
「貴様の目には迷いがある。そんな奴が敵艦を倒せるとでも思ってるのか。爆薬は無駄にできん」
「迷い? 自分にそんなものは」
「俺にはわかる。――貴様、父親は」
「戦死しました」
「では、母親は}
「いました」
「それだ! 貴様は母親のために死にたくないと思ってる」
「そんなはずはない、いえ、ありません。母は後妻で、しかもあの女――」
 ――本当は母を愛していた。だから余計に腹がたったのだ。
「あの女は父の金品が目当てで」
「なるほどな、それで分かった」
「えっ?」
「その女が、この間から、お前を退学させてくれと訴えてきているそうだ」
「母が」
「母? いや、非国民だ。どこで知ったのか。
 貴様を入学させたくなかったのはな、動員が最初から分かっていたからだろう」
「馬鹿な。そんな馬鹿な――」
 不意に涙がでてきた。
 母が入学許可証を隠したのは自分を死なせたくなかったからだ。
 慎一は立ち上がった。
 そして自分自身を恨んだ。彼女に謝りたい。くそう。くそう
「その目だあ!」
 教官は立ち上がった。
「えっ?」
「貴様、明日、国のために死ねるな」
 教官は歪んだ笑い顔になった。
「嫌です。し、し、死にたくない」
「貴様あ! それでも日本男子か」
 教官が鞭を打った。
 慎一は耐えた。
 しかし、息を切らせた教官は言った。
「貴様が断れば物資は打ち切りだ。見事戦死すれば物資は二倍出す」
「……本当ですか」
「ああ、日本男子に二言はない」
 慎一は条件を飲んだ。華子の病気を思い出したからだった。あの母子を悲しませるわけにはいかない。
 教官に二倍の物資と、それから妹を医者にみせる事を約束させた。
 慎一がボートのエンジンをかけたとき、
 彼女の声が聞こえた。
 振り向くわけにはいかなかった。振り向けば、あの人の傍に駆け寄ってしまう。 
 慎一は、父の後妻に親子を通り越した愛情を感じながら敵艦に突っ込んでいった。



   このページの先頭へ